どうして強国たちは日本を植民地化にできなかったのか??
16世紀にヨーロッパでは羅針盤と造船技術が発達し、各国が大西洋やインド洋を横断して新しい大陸を発見し競い合うように植民地化して行きました。
18世紀中頃から19世紀になるとその地域は東南アジアに広げられて、わが国のある東アジアまで迫っており、日本のその対象となりましたが日本の歴史上植民地にされた事実はありません。
日本が強国たちにどうして侵略されなかったのでしょうか?
強国たちが日本を植民地化できなかった理由
地理的な理由もありますが、当時の日本人の資質が他の植民地の人々と全く違っていたようです。江戸時代に徳川家康は、キリスト教を統制する事よりも、貿易による経済的利益を優先していたので、特にキリスト教の規制をしていませんでした。
そのため、キリスト教信者が増えていきます。
そんな中、スペインがキリスト教を広めて、日本を征服しようとしていると言う事を知り、幕府は1612年キリスト教禁止令を出し、日本船の渡来にも制限を加え、日本人の外海への渡航も帰国も全て禁止する事になりました。
後に、島原・天草一揆などもありましたが、この時、鎖国をしていなければ、今の日本はキリスト教により違う国になっていたかもしれません。
フランシスコ=ザビエルの至言
日本に初めてキリスト教を伝えた、イエズス会設立社の一人である、フランシスコ=ザビエルは、日本について手紙でこう記しています。
『この国の人々は今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく一般に善良で悪意はありません。驚くほど名誉心の強い人々で他の何よりも名誉を重んじます。大部分の人々は貧しいですが、武士もそうで無い人も、貧しいことを不名誉と思っていません。』
西欧人以外の多くの異人に接してきたザビエルが、日本人があまりにも民度が高く優秀なので驚き、このような感嘆を繰り返し述べていたそうです。おそらくザビエルは、当時の最先端であるヨーロッパよりも、日本の文化水準の方が高いと感じたのでしょう。
それを裏図けるものとして、日本人に対してこのようにも書かれています。
- 好奇心が強くしつこく質問し、知識欲が旺盛
- とても気立てが良く、驚くほど理性に従います
- 慎み深く、才能が有り、知識欲が旺盛
- 道理に従い、そのほか様々なすぐれた素質がある
その優れた資質に驚きを隠していなかったと言われてます。
ザビエルから見た当時の日本人の特徴は、清貧を良しとし、名誉を重んずると言う事が特筆されています。
『日本人はキリスト教の諸地方の人々が決して持っていないと特質を持っています。それは、武士達がいかに貧しくても、そして武士以外の人々がどれほど裕福であっても、貧しい武士は金持ちと同じように尊敬されています。』
欧米列強の侵略から逃れられた理由
ザビエルは侵略の先兵として来日して来たのではなく、純粋に布教目的で来たと考えられています。しかし、植民地化の先兵としての役割を果たしていた宣教師たちも居たのも事実です。
戦況の名のもとに他国へ入り込み、それを足掛かりに侵略していくと手法です。
明治維新後に日本へ来たチェンバレンは、
『わがキリスト教と人道主義を振りかざす人々が、単なる偽善者にすぎない事をどの東洋諸国民もしっているので、日本人も良く知っている。』
大航海時代はヨーロッパによる侵略時代でした。
東南アジアの多くは植民地化されて、日本にも魔の手を伸ばそうとしましたが、他の民族とは違うものを日本人に見て、征服する事を困難と判断したようです。
その大きな理由は…
武士の存在です。
名誉心が強く自分の誇りを傷つけられるのなら死を賭してでもそれを防ぐと言う武士は、征服する側としては手ごわい相手だった事でしょう。
イタリアのイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニヤーノも、
『日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きである。そぜなら、国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服可能な国土ではない』
と言っていました。
日本人の進取の気風
種子島に鉄砲が伝わり初めての二挺買い取りすぐに自らの手で作り上げて10年のうちに全国に普及させる日本人のすごさは、新しいものを取り入れる気概と明敏さがあり伝達網がしっかりとしていると言う事を表します。
自ら進んで物事をする自主が出来ない国が一般的だった世界で、そんな国は珍しくそうでない国はほとんどが植民地化されてしまいました。
民度の高さ
この時代、読み書きできる人が割に多く、『理知的で理解が早く、高い道徳性で秩序が保たれているため、付け入る隙がない』と言われたそうです。
地理的条件
日本はヨーロッパから遠く、また東南アジアの植民地からも距離があり、海に囲まれ、征服の軍を出すのにも陸続きの補給が出来ませんでした。これらの理由により、諸外国は単純な征服は控えざる得ませんでした。
作戦を変更して宣教や貿易で門徒を開かせ足掛かりを作り、その後、戦争に持っていく作戦に出ようとしましたが、江戸幕府の指導者にそれを見抜かれ鎖国政策を敷かれて、日本の国自体に入国するのが制限されてしまいました。
フランスの思想家ヴォンテールは、【習俗試論】と著書で、17世紀の日本と同国におけるキリスト教の消滅についてと言う題で、次のように述べています。
『日本人は寛大で気安く、誇りの高い、そして、決断に関しては、極端な一族である。彼らは、最初、異国人たちを好意的に受け入れたが、自分たちが侮辱されたと信ずるや、彼らときっぱりと縁を切った』
と述べ、キリスト教の日本断絶の意図に対する、日本の英断をたたえています。
一方で、インドのネルー首相は、
『彼らは、ヨーロッパとはほとんど交渉がなかったにもかかわらず、宗教と言う皮をかぶった、帝国主義の狼を見破る洞察力を賞賛すべきだ』
と言っています。
このようにして、西洋の恐るべき植民地化の罠から脱した日本は、世界的に特筆すべき長期政権の江戸時代を築きました。
第二次大戦後の日本
時が流れ、ペリーが武力を背景に開国を迫ります。
最終的に日本を植民地化しに来たのですが、日本はそれも回避することが出来ました。
運が良いのもありますが同じ時期に中国では太平天国の乱が起き、インドでもセポイの反乱が起きてます。この出来事で欧米強国は団結した民衆の力を知ったのかもしれません。
もう一つの理由としては、アメリカの南北戦争でしょう。
国内で戦争をしているのに、極東の日本に攻めているときではなくなったのです。
アメリカが国内を平定している間に、日本は富国強兵策を行い、10年間で日本は軍事などの近代化を達成し欧米と戦える力を持つことが出来ました。
時が過ぎ、第二次大戦で負けた日本はアメリカに占領されました。
その時、アメリカのGHQは日本の憲法を決め現在まで続いています。
今の状態こそアメリカの植民地とまでは言えませんが、アメリカの意向をかなり組んでいる側面もあると言えるでしょう。これから日本が良くも悪くもするには、私たち現代人が選んで乗り越えて行かなくてはいけません。