戦国時代

出会いから約40年、豊臣秀吉と前田利家の変わらぬ友情とは?

歴ブロ

戦国時代は主従や血縁はあっても、友情と呼べるような関係は案外少なかったのかもしれません。そんな時代にあって、豊臣秀吉と前田利家は、身分や立場が大きく変わっても不思議と縁が切れず、出会ってから約四十年近くにわたって深い絆を保ち続けました。

今回は天下人となった秀吉と、加賀百万石の礎を築いた利家。

二人の友情を、いくつかのエピソードを通じてたどってみようと思います。

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出会いは織田家同僚」として

秀吉と利家の出会いは、織田信長のもとで共に仕えていた頃にさかのぼります。

秀吉はまだ「木下藤吉郎」と名乗っていた頃、草履取りから小姓へ取り立てられたばかり。一方の利家は、「槍の又左」の異名を持った槍の使い手で赤母衣衆に抜擢された信長の親衛隊として活躍していました。

二人は同じ尾張出身で、かつ清洲城下に住んでいたことから、家族ぐるみの付き合いが始まったといいます。実際に前田利家とその妻・まつの結婚では、秀吉の妻・おね(ねね、高台院)が仲人を務めたとされており、同僚以上の関係だったことが伺えます。

また、秀吉とおねの間には子ができませんでしたが、利家の娘・豪姫を養女として迎え、溺愛。のちに宇喜多秀家に嫁がせています。この養女関係ひとつとっても、秀吉・利家夫妻は家族同然の親密さがあったことがわかります。

戦で道を分けても、心は切れず

秀吉が長浜城主として中国攻めに従事し始めると、利家は柴田勝家の与力として主に北陸方面で活動するようになります。

そして、1583年に運命を分ける「賤ヶ岳の戦い」が訪れます。

この戦で利家は柴田軍の武将として参戦していましたが、本格的な戦いに入る前に軍を引き上げています。この行動には諸説あり、秀吉への友情が影響していたとも言われています。

その後、利家は秀吉に降伏し北ノ庄城攻めの先鋒を務め、柴田勝家はその戦で自害します。

逸話では落ち延びる途中の勝家が、越前府中にいた利家を訪ねて湯漬けを所望したとも伝わっています。秀吉と勝家の対立の板挟みに苦しんでいたのを目の当たりにしていたのは上司であった勝家。その勝家は、利家が秀吉に下ることを責めずにいたと言います。

話としてはできすぎにも思えますが、秀吉と勝家の対立の中で利家が板挟みに苦しんだことは間違いないでしょう。

天下人となった秀吉と、支え続けた利家

その後、秀吉は関白豊臣秀吉となり、かつての同僚であった利家も家臣として仕える立場になります。

豊臣政権内では利家は北陸の要として加賀・能登を中心に領地を広げ、最終的には百万石に迫る大大名となりました。また、五大老のひとりとして徳川家康と並ぶ存在となり、豊臣家にとっては重要な立場であったといえます。

朝鮮出兵の際には秀吉の代理として名護屋で政務を取り仕切り、晩年の秀吉の信任がいかに厚かったかがうかがえます。そして、秀吉の死の床では、家康と並んでもっとも強く秀頼の将来を託されたのが、他ならぬ利家でした。

死に別れても続いた思い

秀吉が亡くなった翌年、利家も病に倒れます。

その死を見届けるように家康は行動を始め、やがて豊臣家と徳川家の力関係は大きく傾いていくことになります。

利家は死に際し、嫡男の利長に対して「しばらくは加賀に戻るな」と遺言したといわれます。
これは、秀頼の側にいることで豊臣家を守り、徳川家康を牽制する意図があった思われます。

一方で、見舞来た徳川家康には、前田家の行く末をたのむなど「家康と争ってはならない」という現実と「亡き友の恩義に報い、豊臣家を守りたい」という思いがせめぎ合っていたのではないかと考えます。

実際には利長は遺言を守らず帰国し、徳川との関係が悪化。前田家は危機に直面しますが、利家の妻・まつが人質として江戸へ下ることで、前田家は生き残り、加賀百万石として続いていきました。

「損得」ではない、戦国の友情

秀吉は成り上がりゆえに妬まれ、対立を招くことも多かった人物です。
それでも、利家はそんな秀吉と変わらぬ距離感で接し続けました。信長の死後も、関白に上り詰めても、友情は色褪せることはなかったように思います。

織田家の草履取りと、荒くれ者の槍の又左。

どちらも出世を果たしながら、変わらぬ信頼関係を築いたのは、戦国時代では非常に珍しい関係でした。

戦で道を分けても、再び交わり、家族ぐるみで付き合い、最期には互いに家族と政権を託す。

秀吉と利家の40年にわたる絆は、まさに「損得を超えた友情」と呼ぶにふさわしいものだったのではないでしょうか。

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歴ブロ・歴ぴよ
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歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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