戦国時代

【細川忠興と細川ガラシャ】嫉妬と信仰が生んだ戦国夫婦の愛と悲劇

歴ブロ

戦国時代の名門・細川家の当主として知られる細川忠興と、明智光秀の娘で細川ガラシャとして知られる玉子。2人は同い年で、美男美女の評判も高く、織田信長から「人形のように可愛い夫婦」と称されたほどでした。

しかし、この美しい夫婦の物語は、やがて激しい嫉妬とすれ違い、そして悲劇的な結末へと向かっていきます。

今回は細川忠興と細川ガラシャの夫婦関係をたどりながら、戦国時代の愛と信仰のドラマに迫ります。

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15歳で結婚した美男美女カップル

細川忠興と細川ガラシャが結婚したのは1578年、2人が15歳の時でした。織田信長の命により決まった政略結婚ではありましたが、当初は仲睦まじく、長女・長男と順調に子どもにも恵まれました。

見た目も性格も好対照で、忠興は激情型の武将、ガラシャは気高く冷静な女性として知られています。しかし、結婚からわずか数年後、2人の関係に大きな転機が訪れます。

本能寺の変で運命が狂い始める

1582年、本能寺の変が勃発。ガラシャの父・明智光秀織田信長を討ったことにより、細川家もその余波を受けることになります。

忠興は妻・ガラシャが光秀と通じていたと疑われることを恐れ、彼女を京都から遠く離れた丹後国味土野(現在の京都府京丹後市)へ幽閉しました。その期間は約2年。心の通じ合っていたはずの夫から突如遠ざけられたガラシャは、精神的に大きなダメージを受けたと言われています。

それでも2人の縁が完全に切れたわけではなく、幽閉中に次男・興秋が誕生しており、忠興のガラシャへの愛情はなお残っていたようです。

ガラシャ、キリシタンへ改宗

1584年、豊臣秀吉の仲裁によりガラシャは大坂の細川家屋敷に戻ります。しかし、以前のような関係には戻れませんでした。長く幽閉されていたガラシャは心に傷を抱え、キリスト教に救いを求めるようになります。

やがて、侍女「いと」を通じてカトリックの教えにふれ、1587年には洗礼を受けて「ガラシャ」の名を得ました。

この改宗は忠興にとって大きな衝撃でした。以降、彼はガラシャの行動を監視し、伝言や外出も厳しく制限したといいます。ルイス・フロイスの『日本史』には、忠興の嫉妬心や独占欲の強さがうかがえる記述もあります。

離婚を望んだガラシャと、激しすぎる忠興の愛情

ガラシャは一時、忠興との離婚を真剣に考え、宣教師に相談までしています。しかし、カトリックでは離婚は認められておらず、説得により思いとどまりました。

忠興はガラシャに棄教を迫り、拒否されると「側室を5人持つ」と言い放ったと伝えられます。これはキリシタンとして一夫一婦制を重んじるガラシャへの当てつけとも、単なる嫉妬心とも解釈できますが、結果的には妻の心をさらに遠ざけることとなりました。

この頃の有名な逸話があります。

ある日、ガラシャに見とれた庭師を忠興がその場で斬首し、その血をガラシャの着物で拭ったというのです。しかしガラシャは動じず、汚れた着物を数日間着続けたとされます。驚いた忠興が「蛇のような女だな」と言うと、ガラシャは冷ややかに「鬼の夫には、蛇がお似合いでしょう」と返した――これは、すれ違う二人の象徴的なやり取りとして語り継がれています。

関ヶ原の戦いとガラシャの最期

1600年、関ヶ原の戦いを前に、忠興は上杉討伐に向かう際に「もし細川家の名誉が脅かされた場合は、妻を殺し、家臣全員で自害せよ」と命じて出陣しました。

その留守中、石田三成がガラシャを人質にしようと屋敷を包囲します。ガラシャはこれを拒み、自ら命を絶つ道を選びます。家臣・小笠原秀清が介錯し、屋敷は爆破されました。

忠興の命に従った壮絶な最期でした。

驚くべきことに忠興はこの死を深く悼み、キリスト教式の葬儀を許し、ガラシャの菩提を手厚く弔いました。のちに長男・忠隆の妻がガラシャとともに逃れていたと知ると、忠隆を勘当し、廃嫡までしています。

愛と信仰に引き裂かれた夫婦の最期

嫉妬に狂い、妻を監視し続けた細川忠興

そして、自由を奪われながらも信仰に生き、最期まで夫の命を守った細川ガラシャ。

一見すれば、夫に振り回された悲劇の女性に見えるガラシャですが、むしろ彼女こそが一貫して信念を貫いた強い存在であったようにも感じられます。

忠興は狂気のようにガラシャを愛し、ガラシャは信仰のもとに忠興との運命を受け入れました。

2人の関係は、まさに「鬼の夫に蛇の妻」。

激しくぶつかりながらも、どこかで心が通じ合っていた――そう信じたくなる戦国時代の夫婦の物語でした。

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歴ブロ・歴ぴよ
歴ブロ・歴ぴよ
歴史好きが高じて日本史・世界史を社会人になってから勉強し始めました。基本的には、自分たちが理解しやすいようにまとめてあります。 日本史を主に歴ぴよが、世界史は歴ぶろが担当し2人体制で運営しています。史実を調べるだけじゃなく、漫画・ゲーム・小説も楽しんでます。 いつか歴史能力検定を受けたいな。 どうぞよろしくお願いします。
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